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1日(金)・4日(月)・6日(水)・8日(金)・11日(月)・13日(水)・15日(金)・18日(月)・20日(水)・22日(金)
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『天使の皮をかぶった悪魔』
「それは暗い大地を裂き、それをつつむ夜の闇を裂いて、どんどんひろがっていった。この天地を引き裂いて、大きくひろがっていった。やがて、そのひろがりの中から、目もくらむばかりの強烈な光が射し始めた。と、その光の裂け目から今度は気味の悪い、黒い影の塊のようなものがぬっと這い出してきて、まっすぐ、ゲドの顔めがけて飛びかかった。
~中略~
影の塊は定まった形を持たず、ふくらんだり、縮んだりしていたが、見ようによっては何か、黒いけだもののようで、大きさは人間の子どもくらいだった。頭はなかった。ただ四本の足だけははっきりと見えた。それが鋭い爪をたてて、ゲドに襲いかかり、その肉をかきやぶった。」(「ゲド戦記Ⅰ」~影との戦い~より)
魔法の学院で勉強をしている若きゲド。まだ正式な魔法使いではない。でも、生まれ持った才能により常に成績はトップ。
そんなゲドがライバルに煽られて危険な魔法をかけてしまいます。死者を呼び戻す魔法。一瞬、成功したかにみえた魔法でしたが、次の瞬間、現れた影がゲドに襲いかかり、ゲドは瀕死の重傷を負います。
傲慢さ。虚栄心。欺瞞。プライド。そして劣等感。
そんなものに心を支配され、危険な魔法をかけ、世界に悪魔のように危険な影を放ってしまったことで、ゲドは苦悩し、影を恐れ、対決せ
ざるをえなくなっていきます。
私は先日、Robeでのワークでこの「影」そのものになりました。
ザ・ネガティブ!!!
傲慢、虚栄、欺瞞、劣等感に加えて、不信、侮蔑、不潔、不浄、、、、他にどんなもの思いつきますか?とにかくネガティブなもの全てです。
虐げられ、忌み嫌われてきた「影」そのものになりました。
何年も何万年も、ずっと前からまるで無かったかのように否定され、誤魔化され、蓋をされ続けてきた「影」になりました。
影になってみて、味わった感情は、不安や寂しさ。そして、「信じて!」という言葉が出てきました。
だって、ネガティブだろうがなんだろうが、「影」は私の一部なんだもの。
光の部分と影の部分ひっくるめて私なんだもの。
なのに。
悪いことなんてひとつもしてませーん!なんて善人面して生きてきた。もちろん品行方正にできてるわけではない。悪い事してる認識があるにはある。けどそれにもいつのまにか都合のいい言い訳を用意したりしてる。言い訳用意してないと自分が自分で悪事に耐えられない。受け入れられない。
悪い私はダメ!と言い続けて生きてきた。
そりゃ、すねるよね。悪い方の私が。悪い私だってアンタなのに何よ!!今までいなかったかのように振る舞ってたでしょ!?
そんな簡単に許せない。受け入れます!なんて簡単に言うけど、生半可な気持ちを悪い私を受け入れたら、取り込んでしまうよ!
アンタをずたずたに傷つけるかもしれんよ。
ゲドが放った影のように。
長年やってきたいい人癖はちょっとやそっとじゃ抜けない気はする。だけど、悪い私もいるのはわかる。今はすごくわかる。
そもそも、善悪がなかったんだ。
とても、素直な気持ちが、時として、悪い事というレッテルを親や社会に張られてきた。ただ、それだけなんだ。
そう思うととても楽になりました。とてもとても。ただ素直なだけなんだもんね。
毒だって吐きます。
ゲドの物語ではゲドが影のことを「ゲド!」と呼ぶことで、ゲドに統合され、影としての姿を消しました。
象徴的な物語として、「影との戦い」はとても示唆に富んでいてわかりやすいです。もちろんいろんな解釈はあるのでしょうけど。大好きな物語です。
天使ちゃんと悪魔ちゃん。どっちも私で、どっちもかわいい!
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『大人の皮をかぶった赤ちゃん』
本当は大声で騒ぎたかった。わーわー、ギャーギャーと。
本当は大声で泣きたかった。わーん、わーんと。えーん、えーんと。
本当はダダをこねたかった。あれは嫌だ。これ買ってと。
本当は地団駄踏みたかった。負けて悔しいと。
本当は怒りたかった。ぷんぷんと。
本当は拗ねていたかった。構って欲しくて。
笑ったり、泣いたり、怒ったり、楽しんだり。。。
ところかまわず。時間もかまわず。
嫌なものは嫌だと。したくないものはしたくないと素直に言って。
好きなことはずっとして。
好きなお菓子は何個も食べたい。ぷっちんプリンとか。
そして、ぷっちんプリンを10個食べようが、食べちゃダメ!と言われようが、お父さんとお母さんに、そうかそうか、よしよしと全身をわしゃわしゃされたかった。
機嫌がよかろうが、悪かろうが、わしゃわしゃなでくりまわされたかった。
なのに、ほんとにいつのまにか、ほんとに自分で気づかないうちに、そんな気持ちに蓋をして、ついにはそんな気持ちなんか無かったかのように大人になった。
身体も大きくなって、歳もとって。
すべてわかったかのような、まるで悟ったかのような大人になった。
でも、とんでもありませんでした。
私の中には甘えんぼの赤ちゃんがそのまんまの姿で生きていた。その証拠にわが子が泣いたら私もイラつくし、我が子が怒っていたら、私も輪をかけて怒りまくるし。
私の中の赤ちゃんが一緒になって反応するからでした。
私自身が大人になりきれていない。私の中の赤ちゃんが赤ちゃんのまま置き去りにされていた。
私はただの大人の皮をかぶった赤ちゃんだった。
だから、今、私は私をわしゃわしゃしたいと思う。
泣きたいよね。
怒りたいよね。
騒ぎたいよね。
ダダこねたいよね。
拗ねたいよね。
笑いたいよね。
楽しみたいよね。
全部全部の感情をわしゃわしゃしたいと思う。
自分に優しくできるということは、他人に優しくできるということ。
少しずつ、腹に落ちて来ています。
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『母と私の鎮魂歌~最終章~』(『母と私の鎮魂歌』過去の記事はこちら→序章、①、②、③)
母の遺体はとても美しく、ふくよかで、本当に眠っているみたい。私達が見てない時は目を開けていて、こっちに来た!と思ったらぱっと閉じて、死んだふりしているんじゃないかと思うほど。
納棺師の方のお仕事をずっとそばで拝見させて頂きました。母がたぶん好きで、私も大好きだった着物を着せて、お化粧もばっちりしてもらいました。生前化粧品に対するひどいアレルギーのため、全くお化粧ができなかった母。ほんとはとてもお化粧が好きだったのにね。お化粧したかったもんね。だから思う存分きれいにしてくださいとお願いしました。
納棺師の方は丁寧に丁寧にフェイシャルマッサージを施して少しむくみ気味だった母の顔を整えていかれます。エステ初体験。化粧ができなかったおか
げか、母の肌は綺麗で、あまりファンデーションを厚く塗る必要もないとのこと。
すべてを終えた母は10歳くらい若返ったように、美しく、まるで花嫁のようでした。
白雪姫か!?
私達は大満足。
そう、所詮、自己満足。
母は死んでもなお、私達の満足感のため、美しい肉体を残してくれました。
実は、母が倒れ、緊急手術を行った夜、私はひとまず安心した気持ちで家に帰りました。今夜のメニューは親子丼。お鍋を火にかけます。
あたたまるまでの間カーテンを閉めようとすると、黒い蝶がとまっています。
私の祖母が亡くなったとき、やっぱり黒い大きな蝶がうちの中にひらひらと入ってきていたのを瞬時に思い出します。
この蝶は母の魂かもしれない。一瞬そう感じたので私は蝶にそっと話しかけました。「遊びにきたと?ゆっくりしていっていいよ~」
そう言って、煮立ったお鍋の方に戻りました。
すると、その蝶がひらひらとこちらへ飛んできて、あっというまに、なんのためらいもなく、ぐつぐついってる鍋の中に飛び込んだのです。
一瞬で死んでしまいました。
まさかね。
まさか母はこのまま死ぬことを決めていて、私に知らせにいたんじゃないかな。
いやーさすがにそんな偶然ないでしょ!と打ち消しましたが。
翌日の先生の告知を聞いて、やっぱり、と思いました。
この蝶の話を弟にしたら、「その蝶って、あんまり大きくなくて、羽に白い線が入ったやつじゃない?」
って、「それ!なんで知っとると?」鳥肌たちながら聞き返しました。
「母ちゃんを救急隊員が運んでる時、うちの裏口の扉にとまっとったもん。ばあちゃんの時の蝶を思い出したけん、誰かが迎えにきとらすとかもしれんと思った。」
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先日、Robeのかおりさんのカウンセリングを受けに行ってきました。魂を整えなければならないと感じていたからです。
母の死を受け入れているのにもかかわらず、悲しい気持ちもある。でも素直に泣けない。この悲しみがどこからくるのか、腹の底から納得できない。そして、この悲しみをどこかで抱えていることに、いくばくかの安心感や喜びにも似た感情があるのも感じる。それさーやばくない!?
それを解きほぐしに行きました。
会いたくて会いたくてしかたなくて、会って「どうですか?」と言われたら泣いちゃった。
とりあえず、「泣きに来た。」
これ、なんです。ひとしきり泣いたらなんで泣いてるのかわかんなくなる。えーとなんだっけ?となる。
今まで何回にもわたって長々と書いてきましたが、これは私から見た「母の死」なのです。あくまで。
父と母の夫婦ケンカから始まり、母との対決セッションがあり、実際母が倒れ、黒い蝶も現れ・・・・
まるで偶然という名の必然で、すべて母に巧妙にしくまれていたかのような気さえする。
美しく、潔い、見事な死。
そうしているのは、私なんです。
父には父の「妻の死」があり、弟には弟の「母の死」が当然ある。
だけど、「死」は「死」なのね。それ以上でも、それ以下でもない。
母にしたら生まれて、呼吸して、寝て、起きて、食べて、歩いて、そして死んで。
全部が並列にならんでいる。
ただ、それだけのこと。
それを生き残っている者は自分の気持ちを乗っけているだけ。通夜や葬儀は生きているもののためにある。
そういう一面もあるのだそうです。
悲しみを思い切り表出させるために。
誰かの死はただのきっかけに過ぎない。
最初は母を思って泣くかもしれない。いなくなったことが寂しい。苦労したよね。とか。父も辛いだろうな。なんで人は死んじゃうのかな。どうしても死んじゃうのになんで争ったり殺し合ったりするのかな。殺人事件とか。事故や天災でもたくさんの人が亡くなるよね。生きていくってものすごく大変で悲しいことが多いよね。。。。。そんなことを人類は何万年も繰り返してきてるよね~。とかとか?
実はこんな風に「母の死」をきっかけに私の奥深くに眠る潜在意識の中の癒しきれていなかった人間としての根源的な悲しみが反応しているのだとわかりました。
私達は泣き足りないんだな~ってことです。
そう、わかったので、今日からは泣きたくなったら泣く!と決めました。泣き足りないなら泣きましょう。我慢せずに。
シンプルにストレートになり、スッキリしました。
そしてもう一つ気付いたこと。
こればっかりはどうしようもないけど。
母の三次元の肉体がないのが、やっぱり寂しい。姿が見えない。手に触れられない。声を聞けない。香りをかげない。それは、どうしても喪失感として残っています。
毎日触れ合っていた父としてはなおさらでしょう。
だからこそ、今ここに肉体を持つ存在としてあることが有難いと感じます。
パパの大きな胸にぎゅっとしてもらう。長男のひょろひょろの手足に絡みつく。二男のぷにぷにのおしりにほおずりする。
その感触が愛おしくてしかたありません。
折しも、かおりさんは母が亡くなった10月14日が誕生日。
その事実も母の魂の粋な計らいと受け取ってます。
そして、かおりさんともハグをする。私よりちょっと小さな身体。そのぬくもりが有難くて有難くて。
身体と魂と心。全身全霊で生きていく。
そんな存在としての私を嬉しく思いました。
「母と私の鎮魂歌」もそろそろ終わりにしたいと思います。
美しい調べに乗せて、美しく母の死を語ることができたこと。それこそが私の中に間違いなく存在する豊かさなのです。
それは、必ずあなたの中にある。私の意識とあなたの意識は繋がっているから。
だから、信じていい。
私が母の選択を信じたように。父や弟や、パパや子ども達を信じているように。
私はあなたを信じています。
あなたはあなたを信じて。
長い間、本当に最後までお読みいただいてありがとうございました。実際、楽しい作業でした。
これからも、一段とパワーアップしてカウンセリングやヨガクラスを提供していきたいと思っていますので、よろしくお願い申し上げます。
最後の最後に、余談ですが。
前述の黒い蝶ね。ふと気になって、名前を図鑑で調べました。祖母の時の蝶はおそらく「ジャコウアゲハ」ゆっくり優雅に飛んでた。
母の蝶は・・・「ホタルガ」!!!なんと正式には蝶ではなく「蛾」の種類だったのです。
蛾をバカにする訳ではないけどさ、ビミョーに蝶の方が絵になりませんか?
蝶にすればよかったのに、わざわざ黒い蛾を選ぶなんて。
ちゃんとオチまで仕込んで、「じゃっ!!」と逝っちゃった。
も~あっぱれすぎて、そんな母に心から乾杯!!
イマココ対話室 高野理恵
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母と私の鎮魂歌③
10月10日の朝っぱらから、父からの電話。もう、めんどいな・・・
「お母さんが、倒れた」
よくわからないまま、うちから1分の実家へと駆けつける。すでに救急隊員の方の姿。
まったく意識がないなんて聞いてないよ。
スースー、爆睡してるように寝息をたてながら倒れている母の姿を見た瞬間私は・・・
「強制終了だ」
と思った。
「これは間違いなく母が選んだことだ」
と、直感した。意識してる、してないにかかわらず。
日赤に救急搬送される。右脳に出血があること。すぐに脳内に出血した血液を取り除く緊急手術を行うこと。身体の左半身に障害が残るかもしれないこと。明日までは麻酔をきらさないこと。明日の検査後今後の治療やリハビリを考えて、説明すること。
たまたま、当直だった若い脳外科の先生が穏やかに、親切に説明してくれました。
手術も当初の目的を果たすことができたという事で、父も弟も私も翌日の説明を聞くまでは楽観的でした。
ところが、翌日の検査後の説明は、にわかには理解も、受け入れることも難しい内容でした。
術後、一時は回復の兆しを見せていたのは確かなのです。出血の際開いていた右目の瞳孔が閉じて来ていたので。しかし、再び、開いてきており、それが左目にも表れ始めているのです。出血を起こしたことによって、脳が腫れて来ています。腫れを抑える薬を投与していますが、腫れによって脳の奥の方に、新たに脳梗塞が見られます。生命維持を司る脳幹へと影響がでてくるでしょう。腫れを抑える薬が効果があればいいのですが、これも腎臓へ負担の大きい薬になりますので、使い方を慎重に考える必要があります。再手術は体への負担が大きい事と、脳の深部を傷つけることになるので行えません。脳の腫れは術後2、3日が峠です。
説明で覚えているのはこんな感じ。すげー、私。先生ってこんな時、苦しいのかな。
父が
「それは覚悟しておいた方がいいということですか」と。
「そうですね。」
「・・・・心肺停止状態となったときに、心臓マッサージ等延命を行うかどうか、なるべく早めにご決断ください」
ね、母ちゃんやっぱり決めとったんでしょ?心臓マッサージなんてさせんけんね。
スースー、相変わらず気持ちよさそうに眠っている母のところに戻って、私たち3人は母にすがってわんわん泣きました。
わんわんと・・・・
どうにかならんとか。
どんな状態でも生きとってもらいたか。
こいつら・・・・父と弟に向かってはっきりと、この時ばかりははっきりと言いました。
「これは母ちゃんが決めること!決めたこと!自分たちのワガママや罪悪感で母ちゃんを引き留めるようなことはせんで!どっちでもいい!母ちゃんがしたいようにすればいい。初めて母ちゃんが自分の人生を自分で決めたんだけん。それをぐちゃぐちゃ言わんで!」
あ~やっぱ、書いてると辛いわ。
この日は涙が止まらなかった。何がこんなに悲しいのかわからないくらい泣いた。
母がしてくれたことばかり思い出す。母の愛情の深さを思い知る。
母の苦労だけを思いやる。
私はあなたから愛情をいっぱいもらって幸せだった。でも、お母さん、あなたには何一つ恩返しをしていない。
あなたは幸せでしたか・・・・・?
生と死。表裏一体のもので、どちらが価値があるなんてことはない。
そのはずなのに、生き残っているだけで善で、死んでしまったら悪で。そんな感じの思い込みを私達はしている。
それゆえ、死にゆく愛する者に対して、生き残っている者は憐れみと罪悪感を持って、嘆き悲しむ。
生と死の本質はそこではない。
死は決して悲しいものばかりではない。
そう、知っていたはずなのに、私も泣かずにはいられなかった。
母の選択を信じるつもりでも、涙あふれた。
私がこの前のワークで母を見捨てたから、だから母はこの世、今生で生きて、学ぶことを放棄したんだ。あきらめたんだ。
そんな思いも脳裏をかすめる。
こんなことが突然起こると、人はなんらかの納得できるような理由が欲しくなる。でないと、収まらない。原因があるから結果があるんでしょ?ってその何でもいい因果関係にすがりつきたくなる。この状況を受け入れられるような、理由を何でもいいから誰か教えて欲しい。
父も同じで、最近太ってたとか、運動不足だったとか、料理の味付けが濃かったとか、言わずにはいられない。
後にも先にも、一度だけ、この時だけ、私は父を責めた。
「母ちゃんはもう怒られたくなかったんよ。父ちゃんにこれ以上怒られたくないよーって。考えることも、感じることもこれ以上したくなかったんよ。だから頭の血管が破れたんよ。」
言わずにはいられなかった。
父は「俺が殺したようなもんだ。」とおいおい泣いていた。
そう、父の中でも、おそらく私と弟以上に罪悪感が大きかったと思う。そして夫婦として長年連れ添ったからこその想いがある。弟と私にはうかがい知ることができない大切な想い。
それから心臓が動かなくなるまでの4日間、母のそばにいられる間、私達4人の家族はできるだけ一緒に過ごしました。
安らかに深く深く眠る母の周りで、母の思い出話をして、泣いたり、笑ったり。
それはそれは、穏やかで、幸せな時間でした。私達家族はこんな時間を共に過ごすことができたんだね。知らなかったよ。ほんとなら、元気な母も一緒に味わいたかったな。
少しずつ弱弱しくなる鼓動を繰り返す母の身体は、それでもとても温かで。そんな足や手を握りながら、私達は語り合った。母の魂はきっとそこで同じようにきっと笑っているに違いない。それはずっと感じていました。
母の状況を一度Robeのかおりさんに連絡しました。その返事に「お母さんに白い光をイメージしてあげて」とありました。私が言われたとおりに母の手を握りながらイメージすると、必ず母は赤ちゃんとして出てきます。もうすぐ生まれそうな胎児な感じ。その赤ちゃんの母を白い光でくるんでなでなでしてあげてました。
「かわいいね。大好きだよ。愛してるよ。ありがとう。ありがとう。ありがとう。。。」
そう言いながら。
母はすでに次のステージへの準備に入ってるんだろうなーと感じました。そう思うと悲しいばかりでもなく、落ち着くこともできました。
改めて、母がベストな選択を行ったのだと信じることができました。
そう、弟にも言ったら、「どんな風にすればいいと?」って聞いてきた。それからは彼もイメージし続けてたんだと思う。
14日の早朝、病院に泊まっていた弟から電話があり、血圧が下がってきているからすぐに来るように言われました。着いたときにはすでに、母の心臓は動かなくなっていました。
とても静かで、穏やかな、さらに深い眠りへとつくような、安らかな最期でした。
一度も苦しむことなく、私達家族への負担も最小限に抑えるように気遣って、潔く、見事な最期でした。
やっぱり、母にはかなわないな~。
母と私の鎮魂歌もデクレッシェンドしていきます。
次回の記事で終わりにしたいと思います。今日もありがとうございました。
イマココ対話室だよりへようこそ!
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*11月のヨガレッスンスケジュール
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『母と私の鎮魂歌②』(過去の記事はこちら→『母と私の鎮魂歌~序章~』 『母と私の鎮魂歌①』)
私は母を全身に憑依させ、エネルギーを両親へとダダ漏れさせたまま、10月5日Robeのセラピスト仲間みーちゃんちに行きました。ヒプノセラピーの自主練習会です。かよちゃんと初めましてのみほちゃんも一緒。
両親のモヤモヤをみんなに聴いてもらいました。私はみんなを深く信頼しているので、素直に話せます。思えば、Robeでの講座やワークでも母とがっつり向き合ったことはなかった。
んじゃ、お母さんと向き合ってみようか!?
ってことで、私がクライアントとなり、催眠状態ではなく目を開けた状態でエンプティチェアテクニックという心理劇を用いたワークをみーちゃんにファシリテートしてもらいました。
やるからにはいつだってガチです。
母を対面のクッションに座らせてみる。観察する。
でも、私の中の母を直視できない。泣いてる。
私もすぐ涙が出てくる。もうギリギリだったんだね。
出てきた言葉は
「もう私を解放してください・・・・!」
もう私を解放して!解放して!解放して!自由にしてください!
苦しくてたまらんのです。不自由で、息苦しい。あなたのことが気になって気になって仕方ないのです。私が私の人生を歩けないんです。いつだってあなたのことを通してしか物事を進められないんです。あなた以外の、私自身の人生に全身全霊で向き合うことができないんです。私が私として実感をもって生きられないんです。それがずっと苦しいのです。あなたを守るために私は私の人生をかけてきました。それがわかったんです。
だから。
私を解放してください。。。。
母にしたら迷惑な話でしょう。だって、直接、母から頼まれたわけではないんだから。
だけど、私の中の母はとても無力で、悲しくて、寂しくて、いつも必死で、不安でいっぱいの人だった。
言いたいことを言ったので、今度は私が母になってみる。
で、やっぱり、不安なの。
母の弱さを証明するように出てきた記憶。
若くして亡くなった母の母、つまり私の祖母が出てきました。
祖母は母が高校を卒業する年のある寒い冬の日、仕事から帰ってきてすぐ、心臓発作で亡くなりました。
母に入った私は祖母に訴えます。
生きていて欲しかった。結婚するときも、出産するときも不安だった。ずっとそばにいて欲しかったのに・・・!!
祖母になってくれたみほちゃんが涙ながらに伝えてくれました。
「ごめんね。そばにいてあげられなくてごめんね。だけど、私の魂はあなたのそばにずっといて、ずっと見守ってきていたの。あなたのそばにずっといたの。」
そう言われたら、かすかにだけど、確かにほっと緩むように癒されるのを感じました。そうだよね。生きてる人間はいつだって死者の魂を感じながら生きることができる。
それと同時に私は祖母の代わりに、母の母としての役割をも担おうとしていたのだと気づきました。娘として母を守るばかりでは飽き足らず、母親とし
て娘を守ろうとしていたのです。
すさまじい癒着。母と私は、母親と娘という役割を交互に演じながらこれまで生きてきたんですね。
ここでひとつ思い出すことがあります。
ユング心理学において「自己実現」あるいは「個性化」という自己の成長・成熟へとたどる過程があるという概念があります。その過程でその都度、その都度、向き合い、乗り越えなければならない対象が立ちはだかると。
代表的な表現が「父親殺し」「母親殺し」と言われるものです。物騒な表現ですが、あくまで比喩的であるにしても、しばしば「殺す」ほどの対決と決別を起こすエネルギーを必要とする。わかりやすく言えば反抗期みたいなもん。
でも、このいわゆる反抗期なんて生ぬるい。決別になんか到底なりえない。そもそも親にも子にも本当に決別する覚悟なんてありはしないのだから。
そして、これはユングの特徴的な考え方なんだけど、表層的な親と子の対決では収まるものではないらしい。父が厳しいから反抗するとか、母が甘やかすから離れようにも離れられないとか、個人個人のレベルで「父親殺し」や「母親殺し」のような衝動が現れるのではなく、実はもっと奥深い個人の無意識を超えた、集合的無意識の中から湧き出る衝動であるというのだ。
個人的な母親を超えた集合的無意識の中から現れる母性の象徴、それを太母(グレートマザー)と言います。
太母の性質。
無条件の愛で包み込み、慈しみ育む一方で、束縛し、飲み込んでしまうこともあると。
母と私が「母と娘」の役割を交代で演じながら、お互いに包み込んでいるかのようにみせながら、実はすっかり飲み込んでいたんだと気づきました。
私の中にすでに元型としての太母が現れていて、母の個性化を邪魔していたのかもしれない。
放していないのは私の方だったのです。その罠に自ら陥っていた。
そう気づいたからと言って、感情はすぐにおとなしくなるものでもありません。
私は母の中に入ったまま、私の役をしてくれているかよちゃんのまっすぐな強いまなざしにすがりついてしまうのです。
お互いに離れないといけないのはわかっている。わかっているけど、一人で立っていける自信はない。口やかましい夫に、また、負けてしまうんだ。
「私はもう大丈夫。りえを解放します」なんて、お利口さんの答えを私役のかよちゃんは許してはくれなかったしね。「ホントはどうなの?」ってすぐに食いついてくる。
「私をおいていかないで」ってやっぱり思ってしまう。
そこでもう一つイメージワークを入れてもらいました。
母として父にふりまわされていない自分自身を想う。
私は夫にきちんと気持ちを伝えることができる。
私は嫌だという事もできる。
ケンカだって恐れない。
怒鳴られたとしても。
それは夫の問題。私は私に向き合い続けるだけ。
私は私。
・・・・・・・・うん、できる。できた。
この時、私は母を信じたのです。母の底力と選択を信頼できると思ったのです。
私が母をすっかり飲み込んで、母の力を削いで、信じることを怠っていた。
愛と思っていたものは、とても中途半端で、ゆがんだものだった。
その時やっと、私は母を解放し、私の中の母は私を解放した。そんな手ごたえを感じることができました。
そのわずか、わずか5日後の10月10日朝、母は脳内出血を起こし、意識不明の状態で自室に倒れていました。
母と私の鎮魂の調べはクレッシェンドしていって、ついにフォルテッシモを迎えます。
その話はまた次回。今日もありがとうございました。
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