母と私の鎮魂歌~最終章~
イマココ対話室だよりへようこそ!
まずはお知らせから。(本日の記事はお知らせの下にございます)
*11月のヨガレッスンスケジュール
6(月)・8(水)・9(木)・10(金)・13(月)・14(火)・17(金)・20(月)・22(水)・24(金)・27(月)・30(木)
******************************************************************
『母と私の鎮魂歌~最終章~』(『母と私の鎮魂歌』過去の記事はこちら→序章、①、②、③)
母の遺体はとても美しく、ふくよかで、本当に眠っているみたい。私達が見てない時は目を開けていて、こっちに来た!と思ったらぱっと閉じて、死んだふりしているんじゃないかと思うほど。
納棺師の方のお仕事をずっとそばで拝見させて頂きました。母がたぶん好きで、私も大好きだった着物を着せて、お化粧もばっちりしてもらいました。生前化粧品に対するひどいアレルギーのため、全くお化粧ができなかった母。ほんとはとてもお化粧が好きだったのにね。お化粧したかったもんね。だから思う存分きれいにしてくださいとお願いしました。
納棺師の方は丁寧に丁寧にフェイシャルマッサージを施して少しむくみ気味だった母の顔を整えていかれます。エステ初体験。化粧ができなかったおか
げか、母の肌は綺麗で、あまりファンデーションを厚く塗る必要もないとのこと。
すべてを終えた母は10歳くらい若返ったように、美しく、まるで花嫁のようでした。
白雪姫か!?
私達は大満足。
そう、所詮、自己満足。
母は死んでもなお、私達の満足感のため、美しい肉体を残してくれました。
実は、母が倒れ、緊急手術を行った夜、私はひとまず安心した気持ちで家に帰りました。今夜のメニューは親子丼。お鍋を火にかけます。
あたたまるまでの間カーテンを閉めようとすると、黒い蝶がとまっています。
私の祖母が亡くなったとき、やっぱり黒い大きな蝶がうちの中にひらひらと入ってきていたのを瞬時に思い出します。
この蝶は母の魂かもしれない。一瞬そう感じたので私は蝶にそっと話しかけました。「遊びにきたと?ゆっくりしていっていいよ~」
そう言って、煮立ったお鍋の方に戻りました。
すると、その蝶がひらひらとこちらへ飛んできて、あっというまに、なんのためらいもなく、ぐつぐついってる鍋の中に飛び込んだのです。
一瞬で死んでしまいました。
まさかね。
まさか母はこのまま死ぬことを決めていて、私に知らせにいたんじゃないかな。
いやーさすがにそんな偶然ないでしょ!と打ち消しましたが。
翌日の先生の告知を聞いて、やっぱり、と思いました。
この蝶の話を弟にしたら、「その蝶って、あんまり大きくなくて、羽に白い線が入ったやつじゃない?」
って、「それ!なんで知っとると?」鳥肌たちながら聞き返しました。
「母ちゃんを救急隊員が運んでる時、うちの裏口の扉にとまっとったもん。ばあちゃんの時の蝶を思い出したけん、誰かが迎えにきとらすとかもしれんと思った。」
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先日、Robeのかおりさんのカウンセリングを受けに行ってきました。魂を整えなければならないと感じていたからです。
母の死を受け入れているのにもかかわらず、悲しい気持ちもある。でも素直に泣けない。この悲しみがどこからくるのか、腹の底から納得できない。そして、この悲しみをどこかで抱えていることに、いくばくかの安心感や喜びにも似た感情があるのも感じる。それさーやばくない!?
それを解きほぐしに行きました。
会いたくて会いたくてしかたなくて、会って「どうですか?」と言われたら泣いちゃった。
とりあえず、「泣きに来た。」
これ、なんです。ひとしきり泣いたらなんで泣いてるのかわかんなくなる。えーとなんだっけ?となる。
今まで何回にもわたって長々と書いてきましたが、これは私から見た「母の死」なのです。あくまで。
父と母の夫婦ケンカから始まり、母との対決セッションがあり、実際母が倒れ、黒い蝶も現れ・・・・
まるで偶然という名の必然で、すべて母に巧妙にしくまれていたかのような気さえする。
美しく、潔い、見事な死。
そうしているのは、私なんです。
父には父の「妻の死」があり、弟には弟の「母の死」が当然ある。
だけど、「死」は「死」なのね。それ以上でも、それ以下でもない。
母にしたら生まれて、呼吸して、寝て、起きて、食べて、歩いて、そして死んで。
全部が並列にならんでいる。
ただ、それだけのこと。
それを生き残っている者は自分の気持ちを乗っけているだけ。通夜や葬儀は生きているもののためにある。
そういう一面もあるのだそうです。
悲しみを思い切り表出させるために。
誰かの死はただのきっかけに過ぎない。
最初は母を思って泣くかもしれない。いなくなったことが寂しい。苦労したよね。とか。父も辛いだろうな。なんで人は死んじゃうのかな。どうしても死んじゃうのになんで争ったり殺し合ったりするのかな。殺人事件とか。事故や天災でもたくさんの人が亡くなるよね。生きていくってものすごく大変で悲しいことが多いよね。。。。。そんなことを人類は何万年も繰り返してきてるよね~。とかとか?
実はこんな風に「母の死」をきっかけに私の奥深くに眠る潜在意識の中の癒しきれていなかった人間としての根源的な悲しみが反応しているのだとわかりました。
私達は泣き足りないんだな~ってことです。
そう、わかったので、今日からは泣きたくなったら泣く!と決めました。泣き足りないなら泣きましょう。我慢せずに。
シンプルにストレートになり、スッキリしました。
そしてもう一つ気付いたこと。
こればっかりはどうしようもないけど。
母の三次元の肉体がないのが、やっぱり寂しい。姿が見えない。手に触れられない。声を聞けない。香りをかげない。それは、どうしても喪失感として残っています。
毎日触れ合っていた父としてはなおさらでしょう。
だからこそ、今ここに肉体を持つ存在としてあることが有難いと感じます。
パパの大きな胸にぎゅっとしてもらう。長男のひょろひょろの手足に絡みつく。二男のぷにぷにのおしりにほおずりする。
その感触が愛おしくてしかたありません。
折しも、かおりさんは母が亡くなった10月14日が誕生日。
その事実も母の魂の粋な計らいと受け取ってます。
そして、かおりさんともハグをする。私よりちょっと小さな身体。そのぬくもりが有難くて有難くて。
身体と魂と心。全身全霊で生きていく。
そんな存在としての私を嬉しく思いました。
「母と私の鎮魂歌」もそろそろ終わりにしたいと思います。
美しい調べに乗せて、美しく母の死を語ることができたこと。それこそが私の中に間違いなく存在する豊かさなのです。
それは、必ずあなたの中にある。私の意識とあなたの意識は繋がっているから。
だから、信じていい。
私が母の選択を信じたように。父や弟や、パパや子ども達を信じているように。
私はあなたを信じています。
あなたはあなたを信じて。
長い間、本当に最後までお読みいただいてありがとうございました。実際、楽しい作業でした。
これからも、一段とパワーアップしてカウンセリングやヨガクラスを提供していきたいと思っていますので、よろしくお願い申し上げます。
最後の最後に、余談ですが。
前述の黒い蝶ね。ふと気になって、名前を図鑑で調べました。祖母の時の蝶はおそらく「ジャコウアゲハ」ゆっくり優雅に飛んでた。
母の蝶は・・・「ホタルガ」!!!なんと正式には蝶ではなく「蛾」の種類だったのです。
蛾をバカにする訳ではないけどさ、ビミョーに蝶の方が絵になりませんか?
蝶にすればよかったのに、わざわざ黒い蛾を選ぶなんて。
ちゃんとオチまで仕込んで、「じゃっ!!」と逝っちゃった。
も~あっぱれすぎて、そんな母に心から乾杯!!
イマココ対話室 高野理恵