自己肯定感
ちょっと前のことでした。恥ずかしながらパパと大喧嘩。久しぶりだったなあ。
1号はプール熱で幼稚園は出席停止。
2号も中耳炎。
ほぼ1週間、毎日ギャーギャー、ピーピー!!泣くわ、わめくわ、笑うわ、暴れるわの大騒ぎ。
おまけにパパも1号と同じ症状で超体調悪し。
そんなこんなで、私はイライラのピークよりさらに上までいっていました。
いや、きっと今にして思えば、あれは普通じゃなかった。
1号を怒鳴る。叩く。引きずる。(いや、もちろん訳あってのことですけどね)
あれも、私…?
体罰を通り過ぎて、虐待になりそうな勢いだったと思います。
信じたくない、私の一面。
私は育児の壁に四方を囲まれ、ぶち当たっていたのでしょう。
体調悪いまま仕事から帰ってきたパパに散々悪態をつき、そのまま一人でプチ家出をしました。
てくてくてくてく。
歩くと頭が冷えてきました。
さぁ、どこに行こう?
ひとまず本屋さん!
何となくレシピ本とか立ち読み〜。今レシピ見ながら作る気なんてないけどさ。
あ、そうそう。育児本は?ずっと欲しいと思っていた「子育てパッピーアドバイス」シリーズ。ごっそり大人買い。
そして目に止まったのが「ママでいるのがつらくなったら読むマンガ」!ただの子育てコーチングの話ではなさそう。まさに今の私の気持ちにドンピシャリ。
これも有り金はたいてご購入。
夜、泣きはらした目で育児本をごっそり買う年増の女…。
見る人が見れば、さぞ異様な光景だっだことでしょう。
そんな時パパが電話をくれたので、いそいそと家路につくことができました。
この本たち買って良かったです。
マンガやイラストが多くて、字も大きい。家事育児の合間にチャチャっと読めます。
だけど内容は濃い。深い。
どちらにも共通しているキーワードが「自己」かな。
「自己肯定感」とか「自分軸」とかいう言葉で表現されていますが。
母親の「私はこうして今生きていていいのだ」「大切な人に大切にされている」という「自己肯定感」が意外と低いために「自分軸」が揺らぎ、子供や周囲の人に振り回され、イライラしたり落ち込んだりして、肝心の子供の「自己肯定感」を育むような育児を難しくしている。
超大雑把にまとめるとこういうことだと思いました。
それで気付いたことがいくつかありました。
私は育児に専念するため、という口実で仕事を辞したにもかかわらず、いまだに社会(有職者)に未練を持っているのではないか?
家にばかりいて、子供としかほとんど会話をしない生活。何だか取り残された感じがどこかにあるんですよね。
仕事をバリバリしている友達と比べたりして。
だから自己実現に向けた動きを焦ってしたい!とか思うのです。
そんな深層心理がヨロシクナイ。
みにきんずにちょっと半身引いて対峙している。意識のどこか一部が育児よりもしたいことの方に行っちゃってる。
だけど自由に動ける訳がない。
だからどうしようもないことで焦って焦ってイライラする。
育児始めて3年半。ようやくそのことに気が付きました。
1号は比較的育てやすい子でした。だから中途半端な気持ちでも今までやってこれた。
だけどここにきて、初めての育児の壁らしい壁にぶち当たって、私の隠れた願望を顕在化させることができました。
こんなんじゃ、そのまんまの1号を認めて、受け入れることなんてできませんよね。
なんだか1号が大変だなぁって感じ始めてから長かったなあ!
で、やっと落ち着いて彼を眺めることができるようになった。
「子育てパッピーアドバイス」に照らし合わせて考えてみると、何のことはない。やっぱり2号の誕生のせいで1号の「自己肯定感」が低くなっている状態がずーっと続いていたんだとわかりました。
そこでその「自己肯定感」を上げる作業をするわけですが。
できるだけ甘えさせる。もちろん許される範囲で。甘やかさないように注意しながら。
あー!もう!ヒャーヒャー泣くな!!なんて怒鳴らない。
叩くなんてもってのほか!
そして甘い言葉をかけまくる。
朝、寝ぼけまなこでお布団の上でごろごろしているとき、抱き締めて「大好きよ」と耳元でささやいてみた。
そしたらまるでとろけるような笑顔を返した。
うお!効いてる効いてる!
んじゃ、ちょっともっと高度な技をかけてみますか?!
掃除を終えて、掃除機を片付けていた時のこと。
1号が掃除機に馬乗りになってきた。
ふざけて遊んでいるのは百も承知ですが、怒らず、そ知らぬふりして「あれ?掃除機片付けてくれると?」と言ってみた。
そしたら、1号ってば今までのワルガキ面を慌てて引っ込めて、急にお兄さん顔を作り「うん!」なんて言って、必要以上に丁寧に掃除機を片付けてくれました。
私はおかしくて、おかしくて!まんまと罠にかかりおったわ!
そんないくつかの手応えを感じると、あらそう言えば、1号があんまり駄々をこねなくなってきたことに気が付きました。
私も最近超感情的に怒鳴ることが減ってきたような。
ついでに多少のみにきんずのやんちゃぶりにも腹がたたなくなってきた。
今まさにみにきんずにガップリヨツ。
こいつらにトコトン付き合ってあげましょうって思えるようになってきたようです。
「子育てパッピーアドバイス」にありました。
「子育ては尊い仕事です」
お給料だって出ない。
成果だってすぐには出ない。
お休みだってない。
大抵労っても誉めてももらえない。
ないないばかりの仕事です。
だけど、だからこそ「尊い仕事」なのかもしれません。
仕事は誰かの役に立つためにするものですよね。
みにきんずが大きくなって、幸せな社会人になれたら、それだけで将来の日本のためになる!とも考えられますよね。
私だって社会のために働いている立派な社会人じゃないか!
そう考えると、やっぱり子育ては悪くないと思えてくる。
例えみにきんずがこんなことしても。
2号がこんな顔になっても。
怒らなーい!ヘイキ、ヘイキ。
洗濯物が散乱していても。
パンくずが散らばってても。
ホコリがフワフワしていても。
献立が即席でも。
イライラしない。自分にダメ出ししない。
問題はそんなところにはない。
私は何と言ってもみにきんずにガップリヨツなんですから。
だから私はここに居ていい。まさに自己肯定。
そして、自分を愛する。
興味のあることは学びたい。体験したい。
通販しちゃう。
気の合うママ友としゃべりたおす。飲みに行っちゃう?!
これも自己肯定。(すると、愛に溢れた未来がやってくるって、先般のカラーセラピーでも「私の中の神様」からメッセージもらったし!)
みにきんずの自己肯定感を育みつつ、私の自己肯定感も上げていく。
そうだ。
みにきんずの成長と共に、今まさに私も生き直しています。
1号はプール熱で幼稚園は出席停止。
2号も中耳炎。
ほぼ1週間、毎日ギャーギャー、ピーピー!!泣くわ、わめくわ、笑うわ、暴れるわの大騒ぎ。
おまけにパパも1号と同じ症状で超体調悪し。
そんなこんなで、私はイライラのピークよりさらに上までいっていました。
いや、きっと今にして思えば、あれは普通じゃなかった。
1号を怒鳴る。叩く。引きずる。(いや、もちろん訳あってのことですけどね)
あれも、私…?
体罰を通り過ぎて、虐待になりそうな勢いだったと思います。
信じたくない、私の一面。
私は育児の壁に四方を囲まれ、ぶち当たっていたのでしょう。
体調悪いまま仕事から帰ってきたパパに散々悪態をつき、そのまま一人でプチ家出をしました。
てくてくてくてく。
歩くと頭が冷えてきました。
さぁ、どこに行こう?
ひとまず本屋さん!
何となくレシピ本とか立ち読み〜。今レシピ見ながら作る気なんてないけどさ。
あ、そうそう。育児本は?ずっと欲しいと思っていた「子育てパッピーアドバイス」シリーズ。ごっそり大人買い。
そして目に止まったのが「ママでいるのがつらくなったら読むマンガ」!ただの子育てコーチングの話ではなさそう。まさに今の私の気持ちにドンピシャリ。
これも有り金はたいてご購入。
夜、泣きはらした目で育児本をごっそり買う年増の女…。
見る人が見れば、さぞ異様な光景だっだことでしょう。
そんな時パパが電話をくれたので、いそいそと家路につくことができました。
この本たち買って良かったです。
マンガやイラストが多くて、字も大きい。家事育児の合間にチャチャっと読めます。
だけど内容は濃い。深い。
どちらにも共通しているキーワードが「自己」かな。
「自己肯定感」とか「自分軸」とかいう言葉で表現されていますが。
母親の「私はこうして今生きていていいのだ」「大切な人に大切にされている」という「自己肯定感」が意外と低いために「自分軸」が揺らぎ、子供や周囲の人に振り回され、イライラしたり落ち込んだりして、肝心の子供の「自己肯定感」を育むような育児を難しくしている。
超大雑把にまとめるとこういうことだと思いました。
それで気付いたことがいくつかありました。
私は育児に専念するため、という口実で仕事を辞したにもかかわらず、いまだに社会(有職者)に未練を持っているのではないか?
家にばかりいて、子供としかほとんど会話をしない生活。何だか取り残された感じがどこかにあるんですよね。
仕事をバリバリしている友達と比べたりして。
だから自己実現に向けた動きを焦ってしたい!とか思うのです。
そんな深層心理がヨロシクナイ。
みにきんずにちょっと半身引いて対峙している。意識のどこか一部が育児よりもしたいことの方に行っちゃってる。
だけど自由に動ける訳がない。
だからどうしようもないことで焦って焦ってイライラする。
育児始めて3年半。ようやくそのことに気が付きました。
1号は比較的育てやすい子でした。だから中途半端な気持ちでも今までやってこれた。
だけどここにきて、初めての育児の壁らしい壁にぶち当たって、私の隠れた願望を顕在化させることができました。
こんなんじゃ、そのまんまの1号を認めて、受け入れることなんてできませんよね。
なんだか1号が大変だなぁって感じ始めてから長かったなあ!
で、やっと落ち着いて彼を眺めることができるようになった。
「子育てパッピーアドバイス」に照らし合わせて考えてみると、何のことはない。やっぱり2号の誕生のせいで1号の「自己肯定感」が低くなっている状態がずーっと続いていたんだとわかりました。
そこでその「自己肯定感」を上げる作業をするわけですが。
できるだけ甘えさせる。もちろん許される範囲で。甘やかさないように注意しながら。
あー!もう!ヒャーヒャー泣くな!!なんて怒鳴らない。
叩くなんてもってのほか!
そして甘い言葉をかけまくる。
朝、寝ぼけまなこでお布団の上でごろごろしているとき、抱き締めて「大好きよ」と耳元でささやいてみた。
そしたらまるでとろけるような笑顔を返した。
うお!効いてる効いてる!
んじゃ、ちょっともっと高度な技をかけてみますか?!
掃除を終えて、掃除機を片付けていた時のこと。
1号が掃除機に馬乗りになってきた。
ふざけて遊んでいるのは百も承知ですが、怒らず、そ知らぬふりして「あれ?掃除機片付けてくれると?」と言ってみた。
そしたら、1号ってば今までのワルガキ面を慌てて引っ込めて、急にお兄さん顔を作り「うん!」なんて言って、必要以上に丁寧に掃除機を片付けてくれました。
私はおかしくて、おかしくて!まんまと罠にかかりおったわ!
そんないくつかの手応えを感じると、あらそう言えば、1号があんまり駄々をこねなくなってきたことに気が付きました。
私も最近超感情的に怒鳴ることが減ってきたような。
ついでに多少のみにきんずのやんちゃぶりにも腹がたたなくなってきた。
今まさにみにきんずにガップリヨツ。
こいつらにトコトン付き合ってあげましょうって思えるようになってきたようです。
「子育てパッピーアドバイス」にありました。
「子育ては尊い仕事です」
お給料だって出ない。
成果だってすぐには出ない。
お休みだってない。
大抵労っても誉めてももらえない。
ないないばかりの仕事です。
だけど、だからこそ「尊い仕事」なのかもしれません。
仕事は誰かの役に立つためにするものですよね。
みにきんずが大きくなって、幸せな社会人になれたら、それだけで将来の日本のためになる!とも考えられますよね。
私だって社会のために働いている立派な社会人じゃないか!
そう考えると、やっぱり子育ては悪くないと思えてくる。
例えみにきんずがこんなことしても。
2号がこんな顔になっても。
怒らなーい!ヘイキ、ヘイキ。
洗濯物が散乱していても。
パンくずが散らばってても。
ホコリがフワフワしていても。
献立が即席でも。
イライラしない。自分にダメ出ししない。
問題はそんなところにはない。
私は何と言ってもみにきんずにガップリヨツなんですから。
だから私はここに居ていい。まさに自己肯定。
そして、自分を愛する。
興味のあることは学びたい。体験したい。
通販しちゃう。
気の合うママ友としゃべりたおす。飲みに行っちゃう?!
これも自己肯定。(すると、愛に溢れた未来がやってくるって、先般のカラーセラピーでも「私の中の神様」からメッセージもらったし!)
みにきんずの自己肯定感を育みつつ、私の自己肯定感も上げていく。
そうだ。
みにきんずの成長と共に、今まさに私も生き直しています。
by 060304
| 2011-06-16 01:33
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