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堂々と不安でいる

彼女のかねてからの問題は少しずつ解消されそうな可能性を感じさせるようになってました。

それでも、彼女は言いました。

「ずっと不安が消えない」

ならばいっそ

「堂々と不安でいましょうか」・・・?







不安の真っただ中で巻き込まれている時は

なんやかんやと具体的な行動や対策を施し続けます。

それにかまけているので

自分が不安がっているという認識は比較的薄いことが多いです。

それから時間がたったりして客観的に俯瞰して見ることができて初めて

「あー私、不安がっていたなー」と認識できます。

ここで具体的にしていたことを総括し

ひとまとまりに「不安」と抽象化することで客観視でき

自覚や気づきに至ります。


ただ「不安を感じていること」そのものに慌ててしまいます。

不安でいちゃいけない!って思い込んでいる。

なので、何とか「不安をなくさなくっちゃ!」という焦りが
さらに不安を強くするという悪循環に陥ります。

ならば

いっそ、どっぷり堂々と不安でいてみよう。


堂々と不安でいてもいい!

そう自分自身に許可します。

感じてみる。

不安を許可して感じてみます。


そうすると不思議と湧いてくる安心感。


彼女は言いました。

「変な表現だけど

安心して、不安でいられるね」


そうね。
そうだよね。

そうしてやっと自分の不安感と落ち着いて向き合えます。

自分の抱えている不安感を自分でちゃんと認めて扱えるようになる。

それって、実はものすごく心強く安心なことなんじゃないかって思う訳です。


昨日、中学生の長男が1泊の集団宿泊に行きまして。

前日から母は心配なんです。

早起きできるかしら?
弁当間に合うかしら?
忘れ物ないかしら?
寒いかしら?暑いかしら?
バスに酔わないかしら?

かしら、かしら、かしら・・・・?


いやいや、待て待て、心配することこれっぽっちもないじゃん!
彼は彼の面倒を自分でみれる。
いつまでも泣き虫坊主じゃないんだし!!

って、いろいろいろいろ考えて自分に言い聞かせます。

でも

わずかに残る

ごまかせない

心配。

モヤモヤ~。


こんな時も、堂々と心配しちゃえばよかったんだ!

堂々と心配してることを口にする。
世界にあけっぴろげに表明する。


「おねしょしないか心配だわ~!」

って。口にした途端、ギャグに聞こえる。

ほんで、ぷぷっと笑っておしまい。

心配なんだから、しのごの、クールなふりしてごまかさないで
心配しっぱなしで良かったのね、私。




今回の講座でもクライアントさんが私のセラピストでした。
なかなか顕在化できていなかったものを
いともあっさりと引き出してくれます。


そして私自身もさらにセラピスト的な視点と思いやりをもって
クライアントさんに対してだけでなく
自分自身に対しても優しく接していけばいいのだと感じました。


お陰で心が軽くなりまして。
そしたら身体も軽くなりまして。

はりきってヨガもできましたとさ。

今回は
「心が軽いと身体も軽い」体験でございました。


マンツーマンのプライベート「意識講座」
かなり好評いただいてます。
心理学的な知識をシェアさせてもらってるだけでなく
じっくりお話も聴けるのでカウンセリング色もかなり強めとなっております。

セラピスト的な視点を大切な人や自分自身へ向けて
もっと優しい本来のご自身へと目覚めていきませんか?

気になられる方はどうぞお気軽にお問合せくださいませ!
zoom講座もできます!

よろしくお願い申し上げます❤




イマココ対話室
たかのりえ
takanoriee@gmail.com






# by 060304 | 2020-11-11 16:45 | Rメソッド~Relax Lifeのすすめ | Comments(0)

身体が軽いと心も軽くなる。

ヨガをする。

たった3日動いてないだけで、最初は身体が重く感じられる。


使わないと身体はどんどん退化する。

関節の可動域も狭い。
足が開かない。
腕が回らない。
膝の裏も伸びにくい。


でも、無理しない。

わかってるから。

ちょっと辛抱して、じわじわ動く。
少しずつ。
動くようになる。
軽くなってくる。

そしてしばらくすると通常モードだ。


身体が軽い。
動く。
多少の負荷にも耐えられる。


有難いことだ。


いつまでも身体に囚われることがなくなる。

心置きなく
身体から解放されて
心が自由に漂いだす。


これこれ。
この感覚。
この感覚が欲しくて

やっぱり私はヨガをする。


武田真治くんが言ってたなぁ。
「やった後が気持ちいいってわかってるから、キツくても筋トレするんだ」って。




おんなじだー!って思った。



身体の重さは心の重さだ。

身体を動かすことで、心も動かす。
身体が軽いと心も軽い。



有難い。


身体を気にせずにいられると

自由な心でいられる。





身体から自由になるために
自由な心でいるために
一緒に
ヨガしませんか❓


ほぼほぼプライベートレッスンです。
zoomレッスンも大歓迎。



お気軽にお問い合わせ下さいませ〜。







イマココ対話室
たかのりえ
takanoriee@gmail.com


# by 060304 | 2020-11-08 15:37 | ヨガ | Comments(0)

エゴがあなたを責めさせる

「鏡に映る伸びてきた白髪」という幻想
「取り込んだままの洗濯物」という幻想
「なかなか決められない今晩の献立」という幻想

の中を私は生きている。

そのひとつひとつの幻想の中にいるとざわざわと落ち着かない。

どの幻想も私をじんわりと追い立てる。
「なんとかしなさいよ~」と責めたてる。

そもそも、その幻想は「罪」というテーゼを持った幻想なのだから当然だ。

なので、ひとまず、その洗濯物の山の前にじっと座ってみる。
そして、質問する。

「アンタたち、私を責めてんの?」
「・・・・・・」

もちろん、返事がある訳がなく。
もちろん、責めてるはずもなく。

うすうす、気づいていたけど責めるのはいつも私自身。
もっと言えば
勝手に私というお面をかぶったエゴの方。

ですよね~
エゴちゃんですよね~

と気づきつつ洗濯物を見つめ続けます。

相変わらず、洗濯物は何も言わずにただそこにいる。
ただ、エゴちゃんが洗濯物という視覚的に強力なモノを使って
私を責めていただけだったのです。

それに気づくだけで、エゴちゃんの責める力はかなり弱くなります。
エゴちゃんが私の目を盗んでこっそり仕掛けたことを
明らかにします。

白日の下にさらします。

そして、宣言してもいい。

「イヤイヤ、私、これっぽっちも悪くないから!!
洗濯物使って、ダマそうったてそうはいかないから!!」って。

言ったら少しスッキリします。

そして、スッキリしたまま「無」に帰った洗濯物をせっせとたためばいいのです。

そうやって、やったー!私は完璧!いっこも悪くないもんね!
って、これまたじーっと味わってみます。

最初、ルンルンかもしれない。

でも、なんか、それはそれで再びぞわぞわ~ってしてきます。
もうほとんど恐怖みたいに感じる。

「私は本当に完璧で、何も問題ないのかしら。
本当に?本当に?誰か本当って言って~~~!」

たぶん、誰かに本当だってば!って言われても信じないでしょうけど。

「完璧」は「完璧」で怖いし、心配になる。
エゴはどこまでも仕組んでいます。

だったら、洗濯物使って責められている方がマシ!ってなる。
どっちにしろ、「責めていたい」私たち。

それぐらい、エゴの力は巧妙かつ強大でございます。

そんな訳で
そこそこ責めちゃうけど
そこそこ幸せだったら
それでいーじゃーん!?

ともなります。

まあそうだよね。

そうたまに思う。

でもねー微妙に責めてんの。
いろんな場所で。
いろんな時に。
しかも!
ハナクソみたいな事で!

今までは当たり前な感覚で過ごせていたことが
見過ごせなくなってきた。
それこそ、洗濯物とか献立とか白髪とかよ。
責めるのに事欠かない。
ビール飲んでもごまかせなくて。
ツラ。
なのです。


だからエゴちゃんと向き合うぞ~!って思っています。

もし、なにか大なり小なり辛い事あるならご一緒にいかがでしょ?

責めのポイントは人それぞれです。
私、こんなことで自分を責めてるな~って気づきは
ラスボスエゴを弱体化できるチャンスです。

お話を聴かせていただければ
私もお手伝いできると思いますので
まずはお気軽にお問合せくださいませ!







イマココ対話室
たかのりえ
takanoriee@gmail.com






# by 060304 | 2020-10-26 15:15 | セラピー&カウンセリング | Comments(0)

俯瞰するということ

「俯瞰する」=高いところから見下ろすこと。


昨今、ビジネス業界でも俯瞰することが求められているとか、いないとか。

心の世界でも主に自分自身を俯瞰することがとても大切です。


よくよく思い返してみると、これまでの人生で
俯瞰して自分のこと見てるようなもうひとりの自分みたいな存在
いませんでしたか?


時々、
「あー、私、パニクってんなー。落ち着け、私!」
とか
「あー、私、うかれてんなー。ハズカシ!」
とか。

どっか冷静な感じで、自分に突っ込んでる存在。

いませんか?


その方!
私達にとってとっても大事な存在なのです!
とってもとっても大事な存在なのです!



その方がいわゆる
ハイヤーセルフだったり
大いなる自己だったり
真我だったりと

呼ばれているものになりえるかもしれん!と仮定してみます。


例えば私の心をなんとなく分けてみましょう。
パニクってる方を自我
パニクってんなーと思っている方を自己

とする。

自己は俯瞰します。
高いところから自我を見下ろします。

さらに、ここがポイントなのですが
「高いところ」の高さ!

自己の高さが高くなればなるほど
自我は下のほうでちっちゃくちっちゃく見えるはず。

その自我がジタバタ、ドタバタしてる訳です。

それってもう、おかしくて可愛くて愛おしいんちゃうかな!?

それってもう、ほとんど神様目線ちゃうん!?

って話なんです。


で神様目線まで上がっていくには
自己にちょっと大人になってもらう必要があります。

自我はだんぜん子どもだから。
だからって自我が悪いわけではないのですが。

ただ、子どもをちゃんと包み込めて、優しく丁寧に接することができる大人に。

子どもが泣いたりわめいたりするのに一緒に巻き込まれぱなしにならないの。

そこが子どもにとっては、安心できる神様な訳で。


私たちセラピストやカウンセラーができることは
その自己が大人になっていく過程を一緒に歩いていくこと。

それに尽きます。

話を聴いて
自我と自己をひっくるめたあなたの物語をお日様の光で照らします。
出しそこなった感情があれば出して
勘違いしていた思い込みがあれば訂正して

そうやって共に歩いていきたいと。
俯瞰するということ_a0075133_08251095.jpg

先日の講座で俯瞰するイラスト描きながらホワ~っと思いました。
余談ですが、「絵!上手いっ!」って褒められちゃった。

皆さまもよろしければ是非ご一緒されませんか?
イラスト描いたりして私も思いきり楽しませてもらっている講座です。
講座についてのお問い合わせもいつもお待ちしています。




イマココ対話室 たかのりえ
takanoriee@gmail.com

















# by 060304 | 2020-10-20 15:00 | 向き合う | Comments(0)

幸せのカタチ

「何が幸せか決めつけていませんか?」


     他人の幸せのカタチを決めつけていないだろうか?
        あの人は容姿がどうで
        あの人は仕事がどうで
        あの人はダンナがとうで
        あの人は・・・

     そんな風に

     私の幸せのカタチも決めつけていないだろうか?
     
        見えるカタチ
        見せるカタチで決めつけていないだろうか?















# by 060304 | 2020-10-19 15:56 | 感じたこと | Comments(1)

「誰にも相談できない」

「誰にも相談できない」

  =(≒)

「誰にも相談したくない」


となります。


自分の意思や選択ではなく
もっともらしい理由をつけて一択の不可抗力だとしていた方が楽ですから。


自分で自分をダメなやつと責めているので
それをさらけ出すのは
怖くて怖くて
覚悟なんてそうそう簡単には決まりません。


大丈夫、私もそうですから。

わかるの。

あなたと私、おんなじね。















# by 060304 | 2020-10-18 13:32 | セラピー&カウンセリング | Comments(0)

「ごめんね」

「ごめんね」

って。

謝ってもらってない。
ゆるせない。

謝れない。
謝りたくない。

謝ってもらっても
やっぱりゆるせない。

本当に本当は悪い事したのかな?

悪いの誰だと思っているのかな?

誰にゆるしてもらいたいのかな?



素直に謝れた時は、私が私をゆるした時。






# by 060304 | 2020-10-17 13:00 | 向き合う | Comments(0)

祝福

停滞や足踏みはイヤなので
変化を求めますが。

その変化の種類も極々一部のものだけ認められています。

進歩
成長
好転

など。

なので退化や老化などはもちろん除外です。

変化を求めるといっても
それくらいいい加減なものなのです。

いい感じになったら
このいい感じがずーっと続きますように!と「停滞」を求めだす。

それくらい、いい加減なものなので

停滞も成長も退化も
いい加減でいいのです。


「良い加減」

良かったね!

これが「祝福」でしょうかね?


ほんとにほんとに、良かったね!











# by 060304 | 2020-10-16 12:59 | 向き合う | Comments(0)

膜④

真実の「私」は「無」として存在した。
矛盾するような表現になるけどそれが一番しっくりくる。

その無としての存在を感じてみると
自己の確かさと力強さに
安心感と穏やかさを感じることができる。
これまた逆説的だ。

以前は確かに、その無が怖くて仕方なかった。
空白がいたたまれずに、何かせずにはいられなかったのに。

私は大きな大きな勘違いをしていたのかもしれない。

高機能ボディスーツをまとった肉体の中に、それと同化してしまわない程度の隙間を保ちつつ
自己はふわふわと無として存在している。

私達は「ひとつ」だと知っている自己が。

なんという心地よさだろう。

相変わらず、ボディスーツを着た肉体の私はそこらへんをウロチョロしてる。
きっと明日もウロチョロする。

でも
自己である私はその肉体をウロチョロさせておこうと思う。
好きなように。
感じるままに。
したいように。

起きること
起すこと
そのまんまさせておこうと思う。

そして、ウロチョロしながら私はアナタを想う。

どうしてるかな?
元気かな?
大丈夫だろうか?
腹立つなー!

いろいろ想う。
いいも悪いも全部ひっくるめていろいろ想う。

なぜ、人は人を想うのか?
突然わかったきがした。

人が人を想うのは
本当はひとつのものだからなのだ。

アナタと私という視覚的には別々のものでも、分離したものではないからだ。

だから、私は今も私でもあるアナタを想っている。

私が
あなたを心配するのは
あなたにムカつくのは
あなたを見て悲しくなるのは
あなたを見て嬉しくなるのは
あなたをいじりたくなるのは
あなたを愛おしいと思うのは

あなたも私も同じだからだ。

あなたも私もみんなみんなひとつだからだ。

あなたを想うのはあなたを求めているからだ。

あなたを求めているのは、ひとつに目覚めたいからだ。









# by 060304 | 2020-10-12 17:00 | 向き合う | Comments(0)

膜③

そんな恐ろしく都合の良い膜で守られている中身である「私」とはいったい何なのだ?

外側へ外側へ意識をそらそうとしてきた内側の「私」とは・・・・?
・・・?
・・・?
・・・?

イメージを内側へ向けてみる。想像してみると・・・。

ヤバイ。

何もない。

膜の中身は

空っぽだ。

無だ。

「私」なんてどこにも無かった。

何もないのに何もないものを膜は守っていたのだ。

「何もない」ということだけが本当は怖くて膜はつくらざるをえなかったのだ。

そして膜はいつしか膜それ自体が「私」であると勘違いして一人歩きを始めてしまった。

魔法使いゲドの物語にあるように。

影がどんどん濃くなってついには本人と入れ替わってしまうかもしれないって話みたいに。
本人がどんどん影になっていくんだって。

ホラーだ。

そのホラーじみたことが起こっていた。

そうだ。

いつの間にか肉体は高機能ボディスーツをぴちっと身に着け、まるで「私」そのものであるように
世界を闊歩し、存在しているかのように見せていた。

あなたが見ている「私」は高機能ボディスーツをまとった肉体にすぎない。

つまり、「私」という自我である。









# by 060304 | 2020-10-11 17:00 | 向き合う | Comments(3)
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遊んでるように生きる。気づきの記録。


by イマココ対話室
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